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【食品ロスは命ロス】食料廃棄することは保健所の殺処分と同じこと

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どうもイトカクです。
現在、国内では5分に1匹の動物が保健所で殺処分されているそうですが、最近よく話題になる食料廃棄もいわば間接的には同じことです。

日本の食糧廃棄量

日本の年間食品ロスはハンパないです。
 

「日本の食品廃棄量が世界でも1、2位を争うほど高いのをご存じだろうか。
政府広報によれば、日本では年間1900万トンの食品廃棄物が出ており、これは世界の7000万人が1年間食べていける量だという。民間の調査では、2700万トンという報告もある。そのうち、まだ食べられるのに捨てられてしまうもの、いわゆる「食品ロス」が500万トンから900万トンもあるといわれている。日本は食料の多くを海外からの輸入に頼っているが、その半分近くを捨てていることになる。金額にすると、111兆円にものぼるというデータもある。」
http://healthpress.jp/2015/03/post-1646.html

 

とにかく日本は食品を捨てます。

僕のかつての職場はホテルでしたが、そこの宴会で出されたブッフェ料理もガンガン捨ててました。
数百人分の手付かずの高級料理をです。
これは何年やってても慣れませんでしたが、衛星面の理由でお持ち帰りはさせられませんし、従業員のまかないとしても利活用されていませんでした。

賞味期限の短さも異常です。
販売されている食品には必ず設けられているわけで、その期限は短く、販売する側も悩ましく思っているでしょう。
売れ残りはロスとなりますし、その活用方法もない。
期限切れを従業員に食べさせることは出来ませんし、ましてや割引して売ることもできません。


命をいただく

 

 

人間は多くの命の犠牲から成り立っています。ベジタリアンもいますが、割合でいうとごくわずかです。
かつては狩りをし、必要な分だけの命をいただいていたのが、人口の増加や「豊かさの代償」としてそれでは賄えなくなりました。
そこで効率よく、より「旨い」ものを量産するようになり、養殖技術が発達してきました。
そして養殖として生まれてきた動物は、
人間に食べられるために生まれてきます。

自由もなく、ただ機械的に餌を与えられ一定の期間になれば屠殺(とさつ)され加工されます。
人間のように「私は何のために生まれてきたんだろう」と考えていたのなら、なんとも惨いことです。

しかし、我々は普段どれくらい感謝し、犠牲となった動物を悼んでいるかというと・・・。
むしろ、霜降りの牛肉に歓喜し、子羊のクセのなさについて嬉しそうに語っているのではないでしょうか。


食品ロスには当然食肉も

国内の年間1900万トンの廃棄はもちろん全てが食肉ではありませんが、それでも相当な量ということは、僕たちが普段廃棄しているものを思い返すと容易に想像ができます。

 京都市が2012年秋に実施した食品ロスの調査では、マスクと手袋をつけた市職員らが、家庭からのごみ袋をブルーシート上でほどき、種類を書いたラベルを貼ったバケツに分けました。

 重量で見ると、捨てられたごみのうち4割が生ごみで、さらにその39.4%がまだ食べられる、「食品ロス」にあたるそうです。最も多かったのは野菜類で、肉類、魚介類、パン類、ごはんなどが続きます。手つかずのまま捨てた「直接廃棄」が半分あり、残りは食べ残しでした。

どんな時に食べ物を捨てますか? 食品ロス、半分は家庭:朝日新聞デジタル

 

牛一頭がまるまる廃棄されることは少ないかと思いますが、廃棄総量を1頭換算してみれば年間相当な牛の数が廃棄されていることになります。
そしてその牛は恐らく養殖で育てられたでしょうから、
「殺され、ただ捨てられるために生まれてきた」
とも言えるのではないでしょうか。

鳥や豚など牛と比べて小さな動物は1頭換算せずとも、まさに個体まるまる廃棄もあると思います。


「食品廃棄」と「ペット殺処分」の違い

食品ロスと言ってもそれは命ロスということ。

保健所で年間8万頭以上を殺処分する行為と何が違うのでしょう?

殺処分される動物はまさに人間の都合です。
「飼えなくなった」「飼ってる人が亡くなった」など理由はさまざまですが、別にそのまま街へ放置してもいいわけです。
しかし、人間は捕獲し殺処分します。
その殺す理由は
「野犬化して人間に危害(感染)の恐れがあるため」です。

放棄する理由も人間の都合ですが、殺処分する理由もまさに人間都合ですね。

殺処分される動物は一体何のために生まれてきたのでしょう。

「要らなくなたから殺処分」と「食べないから廃棄」
どちらも人間の都合によるもので動物にとっては同じ行為だと思いませんか?

それでもやっぱり人間は生きるために動物を犠牲にします。
ただ、食料として無駄なく消費することでその動物の生きてきた意味が1つ生まれます。
もちろん、それは人間の究極的な都合ですが。
それが食されず廃棄されれば、まさに無駄な死となります。

一方、ペットも人間の癒しとして売られ、不要になれば捨てられる。
ペットの意思なんてまったくないです。

そして捨てられるということは死を意味します。

不要になれば殺されるのです。

因みに保健所で犬1頭を殺処分する費用は1,000~6,000円程度。なんとも手軽な命です。

また、一般保護された動物の猶予は約1週間。
しかし、飼い主に連れてこられた動物は即日に殺処分されることが多いようです。


殺処分に涙しながら食べ残ししている矛盾

殺処分について取り上げたテレビ番組で、その主演者も涙を流しているのをよく見ます。
しかし、そんな芸能人は普段どれくらい食品を廃棄しているでしょう?
一般的に裕福な生活をしている方々です。
一皿の料理をほんの少し口にしただけで残すと、あとは廃棄するしかありません。
それはまさに命ロス。
選り好みをし、無駄な食べ残しや期限切れの廃棄をバンバンしながら、殺処分は悲しいとはこれいかに。


自分ごととして

無駄な廃棄は芸能人だけではありません。
もちろん僕も。

無駄な廃棄と殺処分は同じことという意識がないがために、平気で廃棄してしまいがちですが、廃棄と殺処分は無駄に命を奪っているということを、僕も含めみんながもっと認識するべきです。

うちは子供が3人いて、経済的にも食品を廃棄することは少ないのですが、国内廃棄の中で一般家庭からの廃棄物が一番多いことからも、僕たち一人ひとりが意識するだけで、不幸な動物も減ります。

子供にもどこかのタイミングで屠殺(とさつ)場や保健所の現場を見せたいと思っています。

 

世界で年間13億トンが廃棄され、日本はワースト1位。さらに家庭から出る廃棄が半分を占めるということは、僕らの意識ひとつで世界の廃棄量を大幅に減らす事が出来るということ。

 

あらためて家族とこれからの食料について考えたいと思います。

ここまでお読みいただいて感謝です。
ただ、こうして読んでいただいたあいだにもまた1匹、人間の都合で殺処分されています。

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