sasurai30

さすらってる場合じゃない30代による30代のためのブログ

精神疾患の心神喪失で責任能力なくて無罪なら、人襲った熊も射殺すんじゃねーよ。

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どうもイトカク(@sasurai_30) | Twitterです。

凶悪犯罪の容疑者弁護において伝家の宝刀である「責任能力の有無」。精神疾患や未成年などの理由により責任能力が欠如しているため罪が軽くなってしまう、もしくは無罪となるケース。色々意見はありますが、やっぱり僕は違和感があります。

熊も責任能力はない

年に何回か人間が熊に襲われ、その度に地元猟友会が射殺したというニュースが流れます。当然熊に罪はなく、そもそも人間によって住む場所を奪われ、生きるために食料を求め山里へ降りてくる。熊にとって人間はとても恐ろしい生き物でしょうから防衛のために本能で攻撃するのでしょう。
その熊を射殺する理由は2つ。

  • 同じ被害者を出さないため
  • 遺族感情


一度味をしめた熊は再び人間の居住区へ降りてくる可能性が高いでしょう。するとまた人間が襲われる危険がある。


だから駆除します。

 

言って理解できる相手ではないですからね。
そう、責任能力がないんです。

でも、人間は更正できるけど熊はできない?
調教もできるかもしれません。
もっと遠く離れた山奥に連れて行くなど方法はないものか。

いや、現実的には難しいんでしょうねぇ。
また、遺族の心情を思うと殺してやりたい気持ちも分かります。

とても悲しいけどこの対処は仕方がないのかなと思います。
山の伐採をやめるなどの根本的な解決方法を除いて。

で、一方人間の加害者は??

もちろん熊と人間は違います。
それでも遺族の感情としては同じ「憎しみ」であることは間違いないでしょう。
遺族の本音はきっと「殺してやりたい」です。

強姦されて殺害されただの、集団リンチして命乞いしても容赦なく殺された事件なんて、僕が遺族なら当然そう思います。


そもそも更正なんてしてもらっても、1ミリも報われません。


犯人がこの世に生きているだけで苦痛でしょう。

 

更正(完治)するかもわからない犯人を処罰せず、またいつか釈放されれば、それこそ同じ被害者が出る可能性があります。

 

熊は調教しても遠方へ移動させても、また同じ危害を加えるかもしれないし、被害者や遺族の心情からも「射殺」するのであれば、

人間も同じく、

「更正するかもしれないが、病が再発したり完治していないかもしれない。また被害者の心情からも死刑にしたほうがいい」

にはならないんですかね。

 

相模原障害者施設殺傷事件や冨田真由さんアイドル死傷事件などの犯人が精神疾患で罪が軽減されたり、無罪となった場合、恐らく一生精神病院に閉じ込めておく事は出来ない。

 

いつかまた、自由の身となって近所に引っ越ししてきたら怖いですよね。

 

そのとき、完治したとか更正したとか全然どうでもよくて、

やっぱり嫌ですよね。

 

被害者が許すまで謝る

 

 

普段、僕らが生活している上で揉め事はよくあります。
夫婦喧嘩、兄弟喧嘩、親子喧嘩。友達や同僚とも喧嘩することはあります。
もし皆さんが「一方的に悪いことをしてしまった側」だったらどうしますか?

許してもらうまで謝りますよね?

浮気がばれて、もう二度としないと更正しても適当に謝罪されたら許せないですよね?
「へへ、ごめんね~。もうしないから~」って。

友達に車貸してぶつけられて、

「ごめんね。俺、もう二度と車乗らないから」なんて言われても、
「お前が今後車に乗ろうが乗るまいがどうでもいいんじゃい!!」となりませんか?

被害者にとって加害者の更正はどうでもよくて、気の済むまで謝って(償って)もらいたいのです。


加害者の更正のための犠牲

仮に、加害者が100%更正したとしましょう。
それで本当に被害者は喜んでいるのでしょうか。

ブッタじゃあるまいし、「この人を救った(更正した)」なんてことで喜びを感じることなんてないと思います。
元犯罪者を更正させるために、被害者のお母さんは命がけでわが子を生んだわけでもないし、必死育てたんじゃないはず。
更正後の加害者の人生は楽ではないにしろ、生きています。多少の幸せを感じることもあるでしょう。
一方被害者遺族は一生苦痛を強いられます。耐え切れず自殺する方もいるかもしれません。

加害者が更正しても被害者は戻ってきません。


極論、責任能力ないなら生かしておいても意味ない?


罪の認識がないくらい責任能力がないということは自分の死についても理解できないのではないかと思います。
であれば、生かしておいても意味ないというのは言いすぎでしょうか。

では、
「責任能力なし」⇒更正⇒「責任能力あり」になった時点であらため罪を償ってもらえばよくないですか??

更正(完治)できないのであれば、死刑。もしくは一生刑務所から出さない。

鑑定した精神科医の先生にも責任を持たせて、もし完治と診断した人が再犯したらその先生も罰するようにすれば、もっと厳重に診断するのではと。

加害者に厳しすぎますかね。

でも厳罰化は一定の抑止力にはなると思うんです。
痴漢したら即死刑。万引きも即死刑。
そうしたらかなり減りませんかね。もちろん冤罪などの弊害はハンパないですが。


核兵器のボタン押して日本滅びても精神疾患だったら無罪?

もし、責任能力のない人が許されるのであれば、国家転覆のような悪事や、それこそ日本人が全滅してしまうような悪事を犯しても、「ま、責任能力ないから更正させましょ。」となるんでしょうか。
更正した頃には日本人誰もいませんけど。

ヘリコプター免許持ってる人がある日精神を病み、全国の原子力発電所に次々と上空から工事用ダイナマイトで爆発させて日本全土を被爆させても、
「被爆した方は、彼が更正することを望んでいる」なんてなりますかね?

もちろん、精神病患者が悪いということではないです。
病ですから、ご本人も苦しみ大変な思いでしょう。
精神を病みながらも家族や友人と一生懸命生活されているかと思います。

ただ、犯罪を犯すのに精神病かどうかなんて関係ないでしょ。
病気なんだったら、きちんと治して罪を償わせる。
病気になった身体も自分自身なんですから。
狐に取り付かれて、その狐を退治すれば解決とはなりません。
病なんですから。

そして治らないのであれば、遺族の気持ちを尊重した刑罰を与える。

加害者の人権>被害者(遺族)の人権
とよく言われますが、加害者が更正して一体誰が喜んでいるのでしょうか。

少なくても僕は喜んでいません。

日本にとって「まっとうな国民」が増えることは経済的にもいいことです。
だから国も少子高齢化にも必死で力を入れています。

発展し続けるには国民の数は減ってはいけません。

ただ、犯罪者を更正させるためにかかる費用と
更正後に日本へ貢献する費用を天秤にかけた場合、本当にこの更正思想は正しいのか。

少し乱暴な意見になってきましたが、死刑囚の死刑未執行も税金を使って生かし続けています。
刑務所の運営だってお金はかかります。

 

被害者は経済的に補助金がでるわけでもなく、それどころか人生全てを狂わされ、悲しみとともに一生生活することになります。

 

更正させる費用や死刑囚を生かしている費用、これをそのまま被害者へまわしてあげた方がよっぽどいいんじゃないかって思います。

どれくらい費用がかかっているかは分かりませんが。

 

まとめ

兎にも角にも、精神疾患という理由で刑期が短くなったり、無罪になったりはやっぱりおかしい。責任能力が戻ったタイミングであらためて刑罰を加えるか、治る見込みがないなら普通の人のように同じ刑罰にする。

 

また、診断する医者にも責任を持たせる。

 

さらに被害者や遺族の希望を第一に尊重し、犯人更正という過度な期待や幻想はいい加減もうやめる。


色々好き勝手に書きましたが、いつ僕も加害者になるかは分からない。
こうして自分はまっとうだという前提で過ごしていますが、もしかしたら僕は自分が気づいていないだけで精神病患者なのかもしれない。
良かれと思いやったことや、普段の行いがとんでもない犯罪だったとしたら。

だとしたら、僕は怖くて外には出たくはないでしょう。
誰も傷付けないように、ずっとどこかに閉じ込めておいてほしいと思います。

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