初めて稲刈りをしたら「人は何のために生きているのか」の答えが分かった。
どうもイトカクです。
最近、地域の農業体験に行ってきました。自分の子供に少しでも農業の大変さや楽しさを知ってもらいたいと思った次第です。
そこで気づいてしまったんです。「人は何のために生きているのか」の答えを。
当日は子供の見守り程度で参加した僕が、結果的に汗だくになって、それこそ子供を差し置いて稲刈りに精を出していました。
そんな僕を見て、子供たちは若干引いていたのは気づいていましたが、そんなことはおかまいなしにどっぷりと楽しんでしまいました。
すると、ふと悟ってしまったんです。
「人は何のために生きているのか」という答えを。
農業体験
今回参加した地域の農業体験は農協が主催したイベントでした。田植えから稲刈り、そして収穫した米で作ったカレーライスをみんなで食べるという数日にかけてのプログラム。子供はもちろん、僕も初体験です。
裸足で田んぼに入り、苗を植えます。海水浴くらいしか裸足で外を歩くなんてないので、何気にこれだけでも新鮮です。苗を一つ一つ植え付ける作業ですが、これがまた腰にきます。昔の人はこういう作業から腰が曲がってしまうんだと納得です。
参加者30人程度で1時間くらい作業しましたが、面積にして25メートルプールくらいでしょうか。あらためて見渡すと感動です。
そこへトラクターが登場。ウィーン、ガシャガシャガシャと2往復してものの5分で僕らと同じ面積の田植えを完了してしまいました。
なんとも色んな意味でまた感動です。
この5月に行った田植えですが、3月頃から種を仕込み苗を作ります。
そして、9月になって稲刈りです。
鎌をもって例のごとく中腰になり一束一束刈っていきます。ザクザクとした刈る感触は心地よく、また自らが田植えをしたものなので感慨深いものがあります。
今回も30人程度での作業で田植えと同じくらいの面積を約1時間。
するとここでもトラクターが登場。
容赦なくものの5分で同じ面積の稲刈りを終わらせてしまいました。
そして、いよいよあらかじめ収穫して乾燥、精米していた新鮮な米を使ってカレーライスを作ります。今回は本格的にかまどで炊き上げますので、薪割りからスタート。
これまた重労働で慣れないと10分で限界です。火をおこし、水に浸しておいた米を炊き上げます。「初めチョロチョロ中パッパ。赤子が泣いても蓋開くな」と炊き方を表現した言葉を思い出しながら、火の加減を調整します。
煙たいやら、熱いやら、それこそ塗炭の思いで1時間。炭で真っ黒になった顔でしたが、その炊きあがった真っ白な米を見て、みんなの歓声が上がりました。
本当に輝いているんですね、米が。
そして実食。
旨い!!!!!!!!
泣いてる人もいました。
まずは米だけを頬張ると、本来の旨味や粘り気、コシのある弾力。
本当に実際普段のお米とは全く違うんです。
もちろん、これまでの苦労があるからこそ余計に旨く感じるのでしょうね。
そして僕は澄み渡った空を見上げてふと悟ったんです。
「人は何のために生きているのか」なんて考える暇ねえな。
「人は何のために生きるか」の答え
なんかすみません。
そうなんです。答えなんてないんです。
昔の人は今の様に容赦ないトラクターもないし、ボタン一つで炊ける炊飯器もない。
1杯のご飯を食べるためには1年かかるんです。
しかも重労働。
不作のリスクもある。
もちろんこれだけやっているわけではないです。
他の農作物も作っていたでしょう。
加えて、育児や家事。
何をするにも今より10倍も100倍も手間と時間がかかったはずです。
何のために生きているかなんて考えてる暇なんてないんです。
そもそもそんなこと考えない。
生きるために必死だから。
生きるために食う。食うために生きる。
なんとなくその意味が分かった気がしました。
便利は不幸
今回、僕は農業体験によってとても幸せな気持ちになれました。
苦労してじっくり手間ひま掛けた先にある感動。
大げさかもしれませんが、たった1杯のご飯には色んな想いがあって、それを口に出来た時の感動は経験した人にしか味わえません。
今、僕らは「便利」に囲まれて生活しています。
そして、さらにもっともっと便利を追い求めています。
電気や車、家電。
そしてネットやスマホ。
タップするだけで何でも知れます。
そして、VRという仮想現実の進化。
行った気になり、経験した気になる。
非常に便利にはなりましたが、比例して幸せにはなってはいません。
日本は世界でも大変恵まれていますが、自殺大国でもあります。
経済的、犯罪率、学力、食料など、どれをみても恵まれすぎています。
しかし、国民の幸福度は相当低いです。
一種の平和ボケかもしれませんね。
簡単に手に入る体験や感動はすぐに飽きられ、麻薬の様にもっともっと刺激的な体験や感動を追い求める。でも、それは疑似体験や仮想だったり超便利に手に入るものだから、またすぐ飽きます。
便利は不幸なんです。
最近、キャンプブームですね。
僕も大好きで毎年何回も家族や友人とキャンプをしますが、これは不便を楽しんでいるんだと思います。
寝床を作って、食事を作って、風呂も準備する。
何から何まで手間と時間がかかります。
でも、その不便なのが楽しいんです。
不便とは呼べないかもしれませんが、
子育てや恋愛、仕事だって、苦労の先に愛情や思い入れ、達成感が芽生えるのだと思います。
最後に
もし、皆さんが「僕は何のために生きているんだろう?」と考えていたら、それはもうヤバいです。
キャンプ行ってください。
稲刈りしてください。
好きな人に1万通ラブレター書いてください。
僕は最近電子ポットと自転車を手放しました。(友人にあげました)
そしたら、コーヒー飲むのもお湯から湧かさないといけなくなったし、買い物も超不便です。
でも、沸騰する手前の温度を見極めて淹れたコーヒーは何となくいつもよく旨く感じるし、買い物も重たいけど、今まで気づかなかった楽器屋を発見していつも寄り道するようになりました。
それでもまだ全然便利に囲まれているんですけど。
不便、最高ですよ。
現場からは以上です。